’何かを生み出すこと’に時間と金を使おう。いま使おうとしているその金と時間は、ただの’消費’になっていないか?
ある人に伝えた話が我ながらいい言葉だったなと思うのでメモ的に残したい。表題の通りだが『誰かが生み出したものを無目的に消費するだけの人になるな。何かを生み出す、その1点をとにかく考えて時間と金を使おう』というハナシ。 面白そうなアニメを放送している。これを見るとき、何かを生み出せると思って見る….って人はほとんどいないだろう。でも、アニメを見てそこから同人誌を生み出す人もいる。「感想」という名の文章であっても、このアニメを見ることで生み出されたものだ。何度も視聴して詳しくなって、イベントに行って同好の士を作る、これもアニメ視聴によって『友達を』生み出したといえる。 例を変えて、スマホを落下させて画面を割ってしまったとしよう。DIYで修理してその模様をYouTubeにアップする、これも一種の生み出し、だ。DIYで修理するために工具を少々揃えたとしよう。工具があれば、それで何かを(将来)生み出すことができる可能性が高まる。この消費もある種『生み出しを考えた消費』といえる。一方で、そんなことに時間を使うのは愚かであり、スマホの修理は専門家に任せて、修理屋での待ち時間に絵の練習をとノートにイラストを書きまくる、これも『生み出す』ことを考えた消費(修理屋への代金支払)といえる。ただ面倒くさいから、さほど高くなかったから、という理由で修理屋に頼んだとしたら、同じ『スマホ修理』でも全く […]